何かを取り戻すまでの日記

生涯のうちにやりたいこと

君は見たか、”いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46 ”乃木坂ドキュメンタリーⅡの円盤を【微ネタバレありレビュー】

倒置法って言うんだよね、こういうの。

www.2019-nogizaka46.jp

ドキュメンタリー円盤、私も勢い余って買ってしまいました。映画館で何回も見たし、なんなら章立てとか覚えそうな勢いなのに、買って後悔…

すると思ったら、最高でした。私の場合。

なぜなら、見てしまったからです。高山さんの最後の言葉を。

 

“いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46 ”は、西野七瀬さんの卒業を中心にして回っています。

その中、「同じ未来を見ているとは限らない」という章で、高山さんはメンバーへの寂しさを吐露しています。「みんなずっといると思ってた」「寂しさが大き過ぎて、卒業する子たちの未来を見つめることができなくて、卒業していく若月におめでとうといえなかった」という、

ちょっとモヤモヤする独白です。

またある場面では、西野七瀬さんと高山さんの最後のたかせまるグラビアの画があります。

そこでの2人の会話もとんでもないくらいに他愛もなくて、別れの日が来ることを感じないものでした。彼女自身が別れの寂しさを堪えていたように感じられた、まるで初恋のように。。という監督の言葉が流れます。

 

これ、映画の中で落ちていなくて、もうそのままにされていたと思っていたんですよ。

岩下監督は、話の流れとか物語のオチを考えずに、ただメンバーに寄り添って素材を集めて、ドキュメンタリーを作り上げようとされています。

そういうやり方で乃木坂メンバーやスタッフの信頼を得た、という発言がありました。

そういうやり方をする岩下さんだから、こういう高山さんの後悔やもやもやが回収されない事もまああるよなあと。

 

ところがどっこい、ちがいました。

円盤で、ディスプレイの上で、至近距離で見て、やっと気づいたことがありました。

 

「あれ、かずみん何か言ってる。」

 

西野七瀬さんの最後の卒業コンサート

最後に、メンバーの一人一人と時間をとって、挨拶やお別れを言うシーンがあるんです。

4期3期2期1期の順で、もう与田ちゃんのシーンとかから泣いちゃう場面。

マイクが入っていないのか、音声を動画に入れていないのか。メンバーの言葉はきこえてきません。

そして、もうみんな泣きはらしている1期のシーン。

 

かずみんが、言ってるんですよ。

唇を見ると、絶対、「    」って。

そう言ってるんですよ。

何て言ったかを無料のブログで書くのはおこがましいので、買って見てください。マジで。

www.2019-nogizaka46.jp

マジで円盤買ってよかったと、心から思いました。

物語は想像以上に劇的だった

なんてことでしょう。このドキュメンタリーで、西野七瀬の卒業、メンバーの成長、過去を乗り越えた姿は、確かにありました。

僕は、そう言うものはもう薄味にごまかされて、齋藤飛鳥の見出した希望だけが、この物語の締めだと思ってたんですよ。

その手前に、こんな爆弾があるとは。。。

ほんんの少し、微かな、兆しが、確かに映像の中にありました。

 

岩下監督、憎たらしすぎます。

この一言が分かった瞬間に、もうすべてがOKになりました。

 

高山さんが劇的すぎる。

中盤のつなぎの映像でしか、高山さんの見せ場はないと思っていましたが、彼女の成長、彼女の乗り越えたものが、確かに映像の中にありました。

どうしてこうも劇的に生きられるんでしょうか。

若月さんに言えなかった後悔、西野さんとのグラビアも、卒コンよりかなり前の出来事のはずなんですよ。

どうやったら1年かけてこんな伏線回収が、人間の人生で出来るんだろう。

 

アイドルというだけ、乃木坂というだけで、ここまで劇的になるものなのでしょうか。

 

思うに、彼女らの過ごした時間の濃さ、乗り越えた壁の多さなのではないかと。月並みな話ですが。。。

こんな素晴らしいオチがあるとは、梅雨ほどもおもっていませんでした。

ぜったいに損はしない円盤

本編、まだ何か岩下監督が仕組んでいる気がするんです。

メンバーが生きることがこんなにも物語的だなんて、誰が想像したでしょうか。

未収録映像の西野さんも最高です。

というか4期と西野さんって画だけで最高です。

大園さんが岩下監督を威嚇しているところも最高です。そのあとあんな素敵な言葉を、監督にいってくれるんですもん、可愛すぎか!!!

 

舞台挨拶の真夏さんの突然の桜井玲香ディス、4期と岩下監督の「愛を確かめ合うダンス」も強すぎる。あやめちゃんGJ

みんな見てくださいね。

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SCP-2718"そのあとに起こるのは"について

ちょっとだけ、読むのが難しいSCPです。人の死や死生観に根本的に関わるSCPだからです。

SCPについて語りたいとか言いながら、洒落怖みたいなヤバいSCPばっか紹介しているのはなんでなんでしょうか。

以下、創作を創作として、お楽しみくださいませ。

解説

SCP-2718はオブジェクトクラスが無いSCPです。

見た瞬間に、この文書を見たら今すぐ記憶を消せ、としつこいくらいに忠告されます。

例えば、収容が超難しいまたは無理なKeterクラス、ヤバすぎて財団の最終兵器とかしているThaumielクラス、もう終わっているから財団にはどうしようもないApollyonクラスとか、ヤバいクラス分類は色々ありますが、クラス無しというのは少し珍しいです。

文書は、あらゆる警告を踏み越えると、一つの録音データとして存在している事がわかります。

とある技術者と、ミリアム・プレイザーというO5(13人の財団最高権力集団)の一人が出てきます。O5は財団の基本用語ですが、最高の意思決定を行う集団であり、財団世界で一番えらい人と思って差し支えありません。

以下、録音を引用しながら解説していく形で進めていきます。

冒頭

おそらくあと7分間はO5を続けることになります。これでは適切な特別収容プロトコルを自分で案出するのに十分な時間がありません。後はあなたに託します。

O5が出てくるという時点で結構どえらいことなのですが、そのO5が録音で緊急の、そして消去不可能の文書を作るという緊迫感が感じられます。

私がこの任に就いてから、生命を復活させる特異な方法を19例ほど目の当たりにしてきました。そのような力のある装置や実体は非常に様々な形態をとりますが、そういった科学や魔術、こけおどしのトリックを振り返ってみると、基本的に二つの大きな、それでいて単純な分類に分けることができます。 (中略) 復活した人間には死の記憶や経験が存在しないことです。言い換えれば、人類は240万年もの間、思索を続けたにもかかわらず、我々の死後に何が起こるのか、財団の記録にはそのことについての信頼できる直接的な証拠が存在しないのです。

この文書が非常に強烈なのは、私達のいる世界とSCP世界での違いが一つしかなく、その一つが非常に大きなアノマリー(異常物体)を引き起こしている点です。

そしてその違いは「死の克服」に関係があります。

この文書は、死について書かれた文書です。そして、この異常に関する物語と、この異常に関するSCP財団、O5の対応が、一つの物語として語られます。

録音として語る形式は、この文書をよりドラマチックにしています。なぜなら、この文書が言っていることは非常にシンプルだからです。

死者の蘇生

6ヶ月前、私たちは今までにない方法を使って、ロジャー・シェルドン、公的にはO5-11である人物を蘇らせました。理論的な下準備がいくらかかっていますが、それにはうんざりするほどに多くの理由があるのです。 手順の複雑さ、必要とされる技巧、組織的なリスク、言うまでもありませんが莫大な費用。ただすさまじいほどの必要性によってだけでこの試みは正当化されたのです。

ロジャー・シェルドンはSCP財団の別のO5職員です。彼は後任のSCPの任命のために必要な暗号化用のキーを自分の頭の中に残したまま、僻地の岬の上で死体となったのです。

O5はなんとしても彼を生き返らせる必要がありましたが、彼を見つけたときには彼は灰の塊となっていました。

こんなことを言うのは悩ましいことですが、私たちがこの問題に対してとった方法論についての記録はどれも差し迫っている一斉削除を逃れることないでしょう。ですから手短に要点だけ伝えます。私たちは彼の離散したものを集め、彼の量子的な近似物を再構築する計画を立てました。
物理的にも、化学的にも、電気的にも彼に近似したものを。たとえ少しの間しかもたなくても、彼の心臓が再び鼓動を始めるほど、彼のシナプスが発火するほど、そして、彼の口が動くほど、十分に正確なものを作ることにしたのです。

そして財団は成し遂げます。今までのような不完全な記憶ではなく、死ぬ前の記憶を完全にしたロジャー・シェルドンは蘇生し、彼の後任の手続きもろとも全ては昔あったままに戻りました。

よみがえった人間に起きた変化

特に、私たちは彼の習慣にいくらか変化があったことを歓迎していました。私たちが許可するとすぐ、彼は初めて定期的な身体強化の施術を始めました。彼は医療スタッフとボディガードを任命しました。この理にかなった付添い人たちは彼の元から決して離れませんでした。
以前は仕事仲間に同情を覚えることが全くなかったのですが、急に収容プロトコルの安全性や、財団の被雇用者の医療援助に興味を示すようになり、Dクラスを犠牲にすることを非常に嫌うようになりました。そんな中で、私たちはこのことを取り立てて警戒すべき行動であると考えることはありませんでした。
しかし、そうすべきだったのです。

復活前よりも積極的に働くようになった彼に、いくつかのへんか があったことが語られています。延命のための身体強化や、医療への関心、死刑囚の利用への反対など。

およそ2ヵ月前、彼は最初に私に接近しました。彼は、自分がいないときに、私たちが何か成果を獲得したのではないかと聞いてきました。「成果」とは言うまでもなく私たちの専門用語ではありません。彼は生命を無限に持続させる方法を手に入れたのではないかと聞いてきたのです。

しかし、財団がロジャーに施した措置は、死を巻き戻すことはできますが、不老不死を可能にしたものではありませんでした。それに対して彼は明確に落胆しています。

違反。明らかになる事実

そして、彼は突然、いくつかの接触しては行けないSCPと接触をし始めます。(文書中のAPEがそれ)

それに対する尋問に対して、ロジャーは驚愕の事実を口にします。

俺は最初、このことを話す勇気が無かった。お前たちが俺を収容下から出してくれなかっただろうからな。本当はな、俺は何もかも覚えていたんだよ。最初、そこには深い眠りのような甘い忘却があったのだと思う。でも思い返してみると、そんなことは1日も続かなかった。
ゆっくりと、しかし、紛れもなく、俺は自分の死体に夢のような意識を再び充填させた。最初の慈悲深い時間では感覚が無かった。何も見えないし、何も聞こえないし、全く動けない。でも、その後にはすべての神経が再びつながったようで、すべての感覚が分かるようになった。俺の人生で最もそうだった。
俺は動かない物体の中に囚われている感覚があった。そして、苦しみの苛烈さは増していった。幽かなものが、激しくなっていき、そして我慢できないほどのものになっていく。俺はこのことを完璧には表現できない。
だけど絶するほどの衝動の中で、絶するほどの痛みの中で、絶するほどの絶望の中で息を止めている様を想像してほしい。頭が脈打ち、目が膨れ出る様を。終わることのない窒息する夢を想像してくれ。

ロジャーは、生前の記憶を保った財団世界初の人間です。

ですが、ロジャーは死ぬ前の記憶は愚か、死んでいる最中の記憶もすべて保持していました。

ロジャーの蘇生が明らかにしたのは、「人間は死んだ以後も身体の刺激を受け、それを記憶する」という驚愕の事実です。

彼は自分の体が腐り、乾燥し、バラバラになり、生き物餌となることもすべて自分の体に起こることし記憶していました。

私たちは驚愕しました。そしてふと、彼に同情し始めたのです。そしてそのすぐ後に、恐怖が襲ってきました。これほどまでに心臓が早鐘を打ったと感じるようなときが前にあったかを思い出すことができません。
(中略)
最初はほぼ懐疑的な声が上がっていました。皆、穏やかな、気遣っているような、思いやりのある態度で接していました。しかし、O5-8は……彼女は彼の話を聞くにつれ、顔が徐々に青ざめていき、急に行動を起こすことを支持するようになったのです。
「私たちは人間の死をKeterのSCPであると宣言しなければならない」彼女はそう要求しました。「死をいかなる犠牲を払っても収容しなければならない」と。

この文書が記述する対象となるアノマリー「死そのもの」です。

人間が死に襲われると、苦痛をもたらします。それに対して人間は無力です。

その事実をロジャーが明かしたことにより、SCPの上層部は大混乱に陥ります。

そして、

「その先におこるもの」

ja.scp-wiki.net

あくまで創作としてですが、人の死生観を思いっきり問わせるSCPとなっています。

もしこんな異常な事態が起こらないと証明できるのは、財団世界はおろか、私達の世界にも存在していないのですから、このSCPは起こりうるものとしての恐怖があります。

そういう意味でも、ホラー的SCPと言えるでしょう。

もしも死してなお感覚が失われるとしたら…嫌ですねw 死ぬメリットが何もない、火葬も鳥葬もされたくない。土の中で虫になるのも、凍えながら生きるのも嫌だ。宇宙に放り出されるのも嫌だしなあ

そもそもそう感じているのは誰なんだという話ですがね。

死生観

別に僕の死生観を開陳してもいいことはないのでここまでにしておきますが、あくまで創作ですよ!というのは言わせてくださいね。

死は生きる人のために、絶え間ない更新と刷新のために必要な設計であると思いたいところです。

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キレイ観劇。大人計画はすごい。いくちゃんもすごい

大人計画のミュージカル『キレイ』観劇してきました。

otonakeikaku.jp

久々のストーリーを知らないミュージカルでしたが、結構楽しかったです。大人計画は盛りだくさんですねw

ミュージカルを少しかじった生田オタという、いつもの視点で書いていきます。

コアなネタバレなし。

生きる美しさを描く物語

物語は戦争の絶えない、パラレルワールドの日本を舞台として展開されます。

すこし、レ・ミゼラブルを彷彿としました。ただ西洋とは毛色の違うミュージカル、ネタも泥臭さも比じゃない。でも、日本版のレ・ミゼラブルを感じる場面はたくさんありました。レミゼにもキレイにも、汚辱にまみれた人たちしか登場しませんしね。

若くして拉致・幽閉され、その忌まわしき記憶をすべて忘れて、歳の大きな赤ん坊として戦争の渦中に登場するケガレ。彼女を主役として、貧しい人々、敵対する貧しい人々、金持ち、狂言回し、トリックスター、活動家にと、少ないキャストが役割を変えながら、一人ひとりが大きくストーリーを動かしていきます。

カーテンコールの際には、「こんな少ない人数でやっていたのか」とめちゃくちゃビックリしました。

戦争と消費されるために作られた人工の生命の中で、たくましく生きる人々、命を失った辛さや、矜持を守れない辛さを噛み締めながら生きる人々から、ケガレは多くのことを学び、汚れていきます。

そして、ケガレの過去を思い出しながら、追体験しながら、すべては過去の一点に収束して、物語は幸不幸つけがたい、それでもキレイなゴールを迎えます。

ネタもアドリブもめちゃくちゃ豊富で、爆笑している人もいたし、ニコニコで見ていた。

キレイ、という言葉がとても難しい。セリフとしての「キレイ...」いう言葉はほうぼうで出てくるけれども、生田さんの役名が「ケガレ」であるように、意味のある言葉であり、意味のない名前としても用いられるのがこのワードでした。

カスミとジュッテン

綺麗どころのカスミが一番闇が深いというのも一つのポイントかもしれない、カスミ役の鈴木杏さんの振り切った演技と、ジュッテン役の村杉蝉之介さんの渋い芝居がとても好きだった。 カスミとジュッテンはお互いに関係しながら物語が進んでいきます。

ハリコナ

腫瘍のせいで知能に障害があるが、花を咲かせる能力を持つハリコナ。 そのハリコナ役の神木隆之介さんと、青年ハリコナ役の小池徹平さんの演技は素晴らしかった。

特に小池徹平。いやらしいセリフや知的でアホほどクールな青年ハリコナを好演しており、その影に少年ハリコナの個性もちゃんと見え隠れしていた。 ペイズリー柄っておもしれー!!!!」 のシンクロ率はやばかった。

そして小池徹平はめちゃくちゃ歌がうまい。爽やかでめちゃくちゃいい声。そうだ、WaTじゃん!!

神木隆之介さんはミュージカル舞台初挑戦だったけどめちゃくちゃ楽しそうで振り切っていて、「アレ、あの子神木隆之介だよな??」ってなった。 生田さんとの絡みもすごく良かったけどそれは後述。

ケガレ:生田絵梨花

初っ端からつらそうなケガレの独白と歌唱シーン、ただドスを利かした声と、歌唱力は圧巻でした。今回の出演者の中で一番上手かった。いくちゃん東宝ミュージカル女優ですもんね。

例えば、コゼットやコンスタンツェ、ナターシャやジュリエットなど、生田さんは「お嬢様」の役がめちゃくちゃ多いし、ハマる。天井とかは別として。

それに比べて、今回のケガレは全然違う、真反対も真反対なわけですよ。パンフ等でも出ている、稽古中の松尾スズキさんの「品が隠せていない」という指摘もそうですが、声が高くてキレイで、どこからどう見ても可愛らしいお嬢様なので、なかなか難しいのでは…

とおもったら、幕が上がればそんなことはありませんでした。

ケガレは汚れているわけではなくて、すべてを忘れた少女、「無垢」なんですよね。すこしアホっぽいというか、何も考えてない、何も思いついていない演技として、生田さんのケガレは十分ピュアに見えました。小銭拾うところとか。

麻生久美子さんのミソギ(ケガレが成長した姿)とのユニゾンもキレイだった。ただ、演技としての関連性やシンクロ具合なら、ハリコナのほうがすごかったなあと。ここは男性と女性の違いもあって、なかなか単純比較が難しいところかもしれません。

ただ、後半になるにつれて、ケガレの失われた過去がアンベールドされるにつれて、そうは行かなくなっていきます。どんどん生田さんの新境地が見られて、もう最後のシーンはゾワソワしました。

「ケガレてケガレて、私はキレイ」という言葉には二重の意味がある。 彼女自身がキレイになったのか、キレイという名前に(ケガレに対して)なったのか、それとも物語、人という生き物全体を表しているのか、

現実と、歪められた現実なのかも怪しい世界のなかで、彼女のキレイさは秘められたまま終わりを迎えます。

ジュッテンのポエムを真面目に打ち返したり、突然の井森ダンスを披露するシーンには笑わされました。 井森ダンスは、深イイ話生田絵梨花密着のときに井森さんがいじられたの由来ですかね。

あと個人的に一番笑ってしまったのは、ちょっとした着替えシーン(ほとんどお色気要素なし。ハリコナだけくっそはしゃいでるw)シーンで、生田さんがインターミッションの衣装を着てたことw

完全にこれなんですよ。笑

下は柄が違ったけどショーパンで。まあインナーというか部屋着っぽいけどw

乃木オタ向けのネタでした。

ハリコナとの絡みにほっこり

生田さん演じるケガレは生きる上での記憶を失っているので、まあバカなわけですよ。そこに目を付けた神木隆之介ハリコナ、「俺よりバカがいるーーー!!!」歓喜絶叫、以後結構からみがあります。お姫様だっこしたり、二人仲良く並んだり、踊ったり。

とにかくハリコナがアゴでケガレに迫っていくんですけど、全部顎を押さえつけられて引き下がる。ハリコナは唾をまき散らしてしゃべる、ケガレもそれを見てゲンナリしつつも笑ってるw

めっちゃほっこりしました。ハリコナはバカでたのしそうだし、ケガレも楽しそう。5列目からズームしてそればっかり見てました。笑

圧倒的アドリブ力、大人計画パワー

阿部サダヲ皆川猿時荒川良々を始めとする大人計画の俳優陣が強すぎる。

役者としての個性が役に滲み出ているのに、それでいてはじめから役っぽさ全開でもあるあの魔法は何なんだろう。役者に当て書きされた役でもないのに。

阿部サダヲはマジシャンとして出てくる、結構重要な役で、シリアスでありクレイジーでありコミカルなんですが、阿部サダヲっぽいんですよ、すごく。

でもマジシャンとして、演出や脚本からは全然はみ出てないんです。

それでいて皆さん真面目で、面白くて、遊ぶところはちゃんと遊んでアドリブも聞かす。。

おそらく役をチェンジしても、そうなりそうなぐらいに説得力がある妙演ばかりでした。すごかった。

まとめ

ストーリー自体は複雑ではありませんが重く深く、幻想的な設定と豊富な役者陣で、大満足の舞台でした。

渋谷でやるに相応しい舞台だなあと。コクーンシアターはちょっと拡張高いとは思いますがwもっと汚いところで見てもよかったかもしれない

生田さんの演技も新しい側面と成長は観られました。彼女自身もピュアな役ばかりが続いていますが、

”ケガレてケガレて、キレイ”になった生田さんの演技もぜひ見てみたいと思います。様々な役をした女優としての生田さんを見てみたい、という欲があるからです。

麻生久美子さんのミソギや知念里奈さんのファンテーヌような、生田さんの経験された役の母親役、劇中での成長したキャストにも、今までとは全く違う面白さが含まれています。そういう役に挑む生田さんも観てみたい。

そのためにも、また演劇やミュージカルには沢山足を運びたいと思う次第です。

大人計画を見た側の人間

例えば劇団新感線や維新派みたいに、その劇団の演劇を見た側の人間っていう表現はあると思うんですよ。詰まらない箔付けですが。

今や大人気になっている大人計画の演劇をきちんとみられたことは普通にうれしいです。

こういう目標をアンロックするみたいなノリで、名作や定番に触れることは重要だなあと思っています。何事も経験、とも言いますしね。

またあったら、大人計画の俳優陣をもっといろいろ見てみたい。

そう思わされた舞台でした。

MacOS & iOS の「休止時間」機能がすごい。(MacOS Catalina&iOS13)

12月23日時点でiPhoneへの記事を書きましたが、実はiPhoneへの移行してからは2ヶ月くらい経ってるんですよね。

OSごと機種変したからってブログ書く気にはならないのは、もう年齢としか言いようがない。10台の俺なら大興奮だったでしょうね。

それはそうと、MacOSiPhoneで使用できる、『休止時間』って機能ご存知ですか? これはAppleにしかできない、素晴らしい機能だなあと感嘆した昨日です。

MacOS自体は1年近く使っていますし、Catalinaにもしていましたが、iPhoneと合わせて利用して、初めてこの機能を見たときはびっくりしました。

スクリーンタイム

休止時間は、スクリーンタイムと言う機能の一部と言う扱いになっています。

スクリーンタイムは、最近流行りの機能ですが、アプリの使用時間を記録してくれる機能です。Androidにもアプリでちょくちょく出てきていますが、MacOSiOSにはデフォルトで存在しています。

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スクリーンタイムを確認すると、「あ、俺Twitterやりすぎてる!」とか「今週やたらブラウザ開いてるな…そうか、あの調べ物してたな」とか「LINE全然開いてない。友達居なさすぎww」などの本質情報に触れることができます。

普段の使っている時間や比率、相対的な変化などもみれて、自分のデジタル依存度を知ることができます。

さらに、AppleiDを入れることができる機器であるなら、スクリーンタイムを合算することが可能です。スマホとPCを総合した、生活管理が可能になります。

休止時間

休止時間は、詰まるところ「一定の時間、アプリをロックするOSの機能」です。

OSの機能です

アプリロック自体は、頑張ればAndroidWindowsでもあるでしょうが、OSの機能として組み込まれているMacでは、全てのアプリを制限することができます。

アプリはOSにインストールするものですが、それはつまり、OSにアプリは支配されていると言うことで、さらに言えば、アプリ同士は別に支配等の干渉関係にはない、と言うことでもあります。

とあるOS内にあるアプリを全て統括するならば、統括用のアプリを使うよりOSの機能使ったほうがいいですよね。

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休止時間では、このように、[毎日一律の時間or曜日ごとのカスタム時間]で、アプリを使えなくする時間を定めることができます。

その時間になるとどうなるか?

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こうなります。

使えなくなったら不便なメッセージなどのアプリは最初から規制の対象外になっています。

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また、ここを押すことで、一時的な解除も可能です。

1分だけ!ってやらせるのちょっと遊んでる。笑


さらにスクリーンタイムには2つのオプションと1つの連携機能があります。 f:id:husigiyt:20191225224828p:plain

バイス間での共有

これはかなりの必殺技です。同じアカウントを入れているiPhoneと、スクリーンタイムの連携ができることは書きましたが、なんと休止時間も連携できます。

休止時間になったiPhone

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このようにアプリが使えなくなります。

電話等の緊急性の高いコミュニケーションアプリは元から除外されているのもAppleらしさ。

パスコード

簡単には管理内容の変更やロック解除をさせないように、パスコードを設定したり設定することもできます。

ファミリー共有との連携

ファミリー共有で管理/被管理の設定をしておけば、管理者がメンバーの端末を時間でロックすることも可能です。

いろいろ使える

セルフコントロール

時間を気にせずスマホをいじってしまう人間で、気になることが見つかったらついつい夜ふかししてしまうタイプなのですが、この機能は生活リズムの維持にかなり役に立っています。

スマホいじるのをやめろ」と言われるとか自制を求めるのではなく、その手前として「スマホを深夜までいじっている自分に気づく」ためにこの機能は使えます。

アプリの許可不許可も自由自在です。

ペアレンタルコントロール

親が子供にiPhoneを買い与えて、ペアレンタルコントロールとしてスマホを触る時間を管理することが可能です。晩ごはんを食べ終わる頃には、スマホがただの電話できる板になります。

デジタルコントロールの必要性。

デジタル・デトックスという言葉が数年前から聞かれるようになりました。

デジタルデトックス(でじたるでとっくす)とは - コトバンク

ネット上にある情報をすべて見るなんて到底無理なことはわかって久しいですが、

そもそも一個人の興味を満たす情報をすべて見たとしても、一生かかっても吸収しきれない様になってしまいました。

Buzzの名のもとに、すべての人間が高度な受信アンテナと、高度な発信方法を備えている時代に、幸福な情報が私達を押しつぶしうる状況が発生しようとしています。

より洗練された選別と効率の良い情報の処理が必要ですが、その手前として、時間の制限が必要です。

そう、私達の時間は有限なのです。情報は増えても飯は食わなければいけません。

目も脳みそも無限に空腹ですが、そもそも胃袋を1日3回満たささなければ話になりません。

情報ホリックとして、私が行き着いた、ごくありふれた結論の一つです。

適度な睡眠時間と食事、清潔な環境なしに、精神は回りません。

情報を遮断するのではなく、中毒にならないようにじわじわと薄めていく。私にはそれしかありませんでした。情報を抜くと死んでしまいますからね。

もう、情報収集を死なないと死んでしまう体になってしまったのが本質です。 これからどんどん、そういう人が増えていくでしょう。情報ホリックには情報ホリックなりのセルフコントロールがあると思うので、それを探すたびが始まりつつあることを感じています。

スマートフォンをandroidからiPhoneに変更した。理由と手順を書く

増税前、MNP規制の締め付け前、新型スマートフォンのお披露目ということで、旧型機がグッとお安く購入できるタイミングだったので、iPhoneXS 64GBに変更しました。

何年もお世話になってきたグーグルさんとはお別れして、これからしばらくはアップルと仲良くします

なぜ

知らない第三者のアカウントから位置情報の要求がきたのがきっかけです。

Googleマップには[位置情報の共有]という機能があります。親しいユーザー間で位置情報を共有することで、現在位置の把握やちょっとした合流をやりやすくするための機能です。

もちろん、バチバチの個人情報なので、位置情報の共有は簡単にできるものではありませんし、知らない間にオンになっている可能性も限りなく低い機能です。

とはいえまあ、怖かったんですよ。ああ、これにYesを押したら、知らない他人に家の場所が知られるのか、と。 利便性のためとはいえ、「あまりにGoogleに個人情報を渡し過ぎでは?」と思ったわけです。

AndroidGoogleアカウントをとにかく取り込もうとするし、現在地情報も結構気軽に使わせちゃうところがあります。

そういうGoogleの姿勢が少し嫌いになったので、思い切ってiOS端末にすることにしました。

OS非依存で居たいんだ

それに加えて、エンジニアとしては、ハードウェアやソフトウェアに極度に依存するのはあんまりよくないかなあと考えるときはあります。

もちろん、ツールとしてのハードもソフトも、使い込めば使い込むほど、作る側の性格や、成果物の性質がわかって楽しいものですが、エンジニアリングの本質は、ツールでやり取りする情報の側にあります。特定のソフトウェアしか使えない人間ではいたくない。

それに、まあよく機械についてよく質問される、「家族内エンジニア」的な立ち位置でもあるなので、ここらでiOSに慣れて置きたいと思ったというのもあります。


iPhoneは手に入ったので、Androidの端末から必要な機能を移していきます。

電話とメッセージ連絡のキモを移す

何よりも、LINEアカウントと電話番号は途切れてほしくない。

契約をしてSIMを挿した時点で電話は使えます。ですが、LINEはWi-Fi環境下でしか使えなくなる。それに、電話ができるだけでは意味がありません。連絡帳も同時に移す必要があります。

iOSの連絡帳には、Googleの連絡帳を取り込む機能があります。

これで電話周りは前と同じになりました。

次はLINE。ですが、私はここは問題ではありませんでした。なぜなら電話の通信とデータの通信が別のSIMだったからです。しばらくは、LINEを前端末、電話をiPhoneにすることができました。

メール、カレンダーを移す

コミュニケーションには使っていませんが、重要なお知らせや情報配信はメールでやりますが、ここも問題ありませんでした。iOSGoogleアカウントのメールとカレンダーをそのまま持ってくる事ができます。

iPhoneは、Androidと違い、Googleアカウントを入れても、メール、電話帳、カレンダー、メモの4つしか同期しません。

アップデート

都合がいいのか悪いのか、iOS 13が配布されたタイミングだったので、アップデートがきました。

ダークモードにできるだけ対応しているアプリで組みたかったので、iOS13は必須でしたので、ひとまずアップデートして、そこから入れられるアプリだけでやっていく方針に。

アプリ色々入れちゃうまえにアップデートはやったほうがいいですね。「入れてたあのアプリが使えなくなった!」とかは結構ストレスですが、最初から使えなければ諦めがつきます。

「他のアプリないかな?」と探すきっかけにもなります。

アプリを入れる

鍵となるアプリのインストール

これは電話と一緒に一番に移すべき機能です。

昨今、様々なサービスが2段階認証に対応しています。メールアドレスと同時に電話番号も登録することで、ログインやアカウント保護をより強固にする機能です。

私の場合は、

などはPCだけではログインできなくなっています。

Googleの2段階認証については以下を参照。

https://www.google.com/landing/2step/?hl=ja

SMSでの電話認証なら、認証用コードがiPhoneに飛んでくるだけですが、Googleログインでは、端末自体が鍵になっていました。

えっAndroid必須なの?詰んでね?と思うかもしれませんが、そんなことはありません。

iOS用の”Googleアプリ”を落とせば、iPhoneを、Google認証における「信頼できる端末」とすることが出来ます。

他にもSteamのアプリを入れて、これにも電話認証やメール認証を通して、信頼できるアプリを新たに設置しました。

同時に、Googleアプリにカメラや位置情報にアクセスさせないようにも設定。通知も減らしました。

写真を移す

昔の写真が端末に入っている必要はありません。そもそも写真は生きていれば増え続けるので、いつかは端末にすべて置いておくことが出来なくなります。

そのためにNASにすべての写真は置いておくことにしています。

高画質の写真は欲しい時にNASから落とす、 Android時代の写真はGoogleフォトアプリを落とそう…としましたが、ちょっとまて!!

それってGoogleに個人情報渡すことになってない?

いったん無しで行ってみることにしました。

どうせ一眼レフや他のカメラで撮った写真も、最終的にNASにあるので。カメラの画像さえNASにあれば良い!と思うことにしました。

写真だけでは無く、ダウンロードした画像なども大量にあり、NASにどういう風に集まって欲しいのか。。。というのは悩ましいところです。

写真が膨大になる前に、みやすい形で整理しなきゃな、、、とは思いますが、あまり手が動きませんね。

LINEを移す

一通り移して、iPhoneがメイン機の風格を見せてきたので、LINEを移します。

AndroidiOSを横断してアカウントを移す時、LINEは会話履歴を移すことができません。

マジかよ。

というか、iOSiOSAndroidAndroidだと、もう会話履歴を移せるようになってるんですね。知らなかったぜ(昔は移せなかった)。まあMacに全部あるから良しとします。

その他アプリを移す。

次はたとえば会員カードの機能がスマホの内部にあって、スマホが無いと損する!的なアプリを移していきます。

  • ディズニー
  • スタバ
  • 無印
  • 電子チケット
  • 電子決済

がそれに当たりました。

次に、手元で情報を参照する、細かく使えることでスマホがあってよかった!系になるアプリを入れていきます。

などでしょうか。

 

ここらへんで薄々気付いたのが、「スマホを触っている時間の大半使っているアプリは必需のアプリではない」という事実です。

いかに自分のスマホの使用が非生産的か思い知らされました。

薄々気づいてはいたのですが、ちゃんとアプリケーションを必要な順番にインストールすれば、普段べったり張り付いているアプリは驚く程必要性が生じてこないんだなと思い知らされました。

楽勝だった

AndroidからiPhoneへの移行なんか、数年前ならちょっとした茨の道で、なんらかのデータロストは免れないと思っていたのですが、Google依存やiPhone依存のものはほとんどなく、ノリで機種変をしても、携帯電話、スマートフォンとしてのコアな機能はほとんどシームレスに移行できるとわかりました。

時代は本当に進化していますね。

本来なら、AndroidiPhoneの移行は、Appleが開発したAndroid用のアプリにとって、私が行ったようなプロセスではなくもっとスムーズに行われるはずでした。

support.apple.com

アプリの選別がスマートさをもたらした

せっかくのiPhoneなのでスタイリッシュに使おうと思って、日常の何でもかんでもをぶち込んだり、やたらとアプリを入れるのは止めよう、一つ一つ吟味して用途を絞ろ、と決めて移行にかかることで、携帯の必要な機能と充分機能をきちんと選別することができました。

改めて自分の生活スタイルの中でのiPhoneの立ち位置が明確になり、より使えるようになったと思います。

個人情報への姿勢はAppleの方が慎重だなあ

iPhoneは位置情報や持ち主情報にアプリをほとんどアクセスさせません。させるときも、ユーザーにしつこく確認を要求します。

許可するときも、一時的な許可や高級な許可など細かくpermissionを弄れていい感じです。

特に気に入ったのは、「アプリを起動しているときだけ位置情報を使わせる」という神機能。

ユーザーの個人情報で商売していない、というスタイルの違いが現れているのでしょうか。

他にも、iPhoneにしてのメリットはそこそこあるので、また掘り返してメモがわりに記事にしてみます。

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Blenを使ってみたレビュー。ボールペンの新たな価値を生み出している

ひっそりと話題になっているボールペン“Blen”を買ってみました。

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Blenシステムとかいう大袈裟な名前が付いたボールペンがあるのでなんか特別な仕組みがあるのかと思いきや、特に機構っぽい機構は見られませんでしたが、シンプルなBlenシステムに、今までにないボールペンのメリットがあると分かりました。

 

新たなボールペンの価値

Blenは、ボールペンの書きやすさにおいて、新たな価値を創造しています。

Blenシステムの特徴は、既存のボールペン芯を“隙間なくガッチリ抑えつけている"というところにあります。

「それの何がすごいんだ」と思われるかもしれません。

逆説的ですが、それがパッと言われてピンとこないということが、Blenが新なボールペンの価値を創出したと言えるところかもしれません。嘘くさいですが。

詳しく説明します。

普通、ボールペンの部品は、組み立てるパーツとパーツの間に隙間があります。それは製造上の都合であることが多いです。

全てのパーツが、寸分の違いもなく作られてる組み立て物というのはありません。

パーツの大きさの個体差を前提として、パーツとパーツには隙間が出来る様に、ボールペンは作られています。 そうでなければ、組み立てが出来ずに詰まってしまいますしね。

その隙間は、ペンを使った時に出る細かなカタカタ音や、ペンに筆圧をかけたときのちょっとした歪みやクッション感として感じられる事でしょう。

Blenは、その隙間が異様に小さいのです。

www.youtube.com

結果として、Blenは、一つ一つの部品が綺麗に詰まっていて、パーツごとの組み合わせが非常にタイトになっています。

パーツの組み合わせがタイトだという表現は銃とかに使われますよね。 パーツがガッチリ噛み合っていれば居るほど、銃弾の安定性は増します。

同じように、Blenは、ペン先が非常に安定しているので、思ったようにかけるレベルが異様に高いです。

鉛筆を使っているようだ!という表現がぴったりかもしれません。

 

持ちやすさとか、インクの滑らかさ、とか、重心がどうこう!とかはありましたが、
このタイプの書きやすさは非常に新しい。

Blenを持ったあとだと、全てのボールペンがガタガタに思えてきます。

特に長時間書くような場面では、この使いやすさは非常に効いてくるでしょう。

そして、Blenシステム自体が内的な機構であり、外部デザインやインクに遊び心がある、というのも萌ポイントですね。

nendoの砂糖オオキさんのデザインではありますが、もっと低重心、多様なグリップ、多様なインクであそぶ事ができます。

Blenの抑える位置上、多機能ペンとしての伸びしろはありませんが、少し楽しみなペンが出てきましたね。

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勝間和代さんの文章を起こす方法が分かりやすかった。

勝間和代さんが書いた文章の書き方がすごくシンプルで良い。

これは万人に通じる方法だ。

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勝間さんの言う通り、 書くツールや乗っけるサービスに拘りがちだけど、言葉を書く方法は最終的にはたった2つのプロセスだ。

  1. 無意識化での印象や観念、考えを言語化する
  2. 言語を素早く言葉にする

これだけ。

この考え方は書く場所を選ばない。 140字のツイートから、超長い論文まで。とにかく五感や無意識から起こったことを語彙を使って言語化し、言語を素早く記録すること。

特に2つ目が重要で、人間は思っていることが言葉になったとしても、それを10秒ぐらいで忘れてしまう。

別に科学的根拠はないけど、風呂場で「あ、これやらなきゃ」と思ったことが、風呂場を上がったら即忘れてしまったという体験はどなたもお持ちだろう。

結局人間は猿の進化系だから、言葉を使って生きるよりも、ジャングルで生き残る方が大事らしい。言葉の刺激よりも、目で見えるものや音で聞こえるもののほうが脳に残りやすいのだ。

思っていることや考えることは次から次に消え去る。それをどれだけ早く記録するか、が重要なのだ。

そういう意味で勝間さんはしつこく、書き起こしを行うインターフェイスの重要さを語っている。 親指シフトなんてなかなか知られていない超マニアック入力方式だ。だが早い。圧倒的に早いらしい。

俺も一度興味本位で手を出して、慣れずにドロップアウト。でもやっぱりこのブログを読んで始めようと思った。 それくらい、俺も勝間さんと同じく「早くタイピングできるかどうかで言葉の使う能力が変わる」と思う派だ。


ただ、この話を発展させるとしたら2点付け加えたい。

ブログはオチからかけ

そもそも、ブログを書きたがる奴は頭から言葉が溢れ出てしょうがないような人種である場合も多い。私もその一人だ。

文章を構成するロジックなんて、どんなシンプルな流れや起承転結でも考えてしまえばどんどん失われていってしまう。オチを書くことが重要だ。

ブログというのは物書きにしたら厄介な機能であり、ただただつらつらと書いてしまっては絶対に終わらない様になっている。140字の制限があるツイートが本当にありがたいと思う瞬間がたまにある。

ヅラヅラと書くならこのあとに書く編集を必ずすること。

編集をしたくないならオチを決めて書くことが大事だ。

編集は別の作業だ

これも長文派に向けたメッセージだ。

思っていることは常に理論立てて、起承転結が正しく順序立てて降りてきてくれるわけではない。

あっちに行ったりこっちに行ったり、3つ前に思ったことと今さっき思ったことが関連してきたり、面倒なことが多々あるだろう。

文章を書きながら考えているときでさえ、「あ、これ手前のセンテンスだ」とか「これはさっきの文章の前に置こう」とか考える事があるかもしれない。

そういうのは、書いたあとに全部やればいい。

  1. とにかく書く。思いついても脱線してもいい
  2. それを話の筋が立つように並び替え、口に出して読みやすいよう推敲する
  3. その上で更に文章の付け足しを行う

長文を書くならこれぐらいのプロセスがないとやっぱり読めない。

大事なのは、「書くこと」と「読みやすくする」は別の脳みそを使うということだ。

校正とか編集は後からやる、全く別の作業で、要は始めはヅラヅラと思ってることを書けばいい。

これを忘れてしまうと、書き手の脳みそと読み手の脳みそがごっちゃになってしまって、文章がいつまで立っても完結しない。

書き手になったなら、書きたいことは全部打ち込む。よそ見はしない。

究極的には、書き手としてどれだけ没入できたかが読みやすさにもつながる気がするが、これはただの精神論だ。


結局執筆の方法論になってしまった。語彙ってどうやって増やすんだろうな。

やはり活字をたくさん読むしかないんだろう。活字嫌いと活字好きの谷は深い。