何かを取り戻すまでの日記

生涯のうちにやりたいこと

【過去記事】レ・ミゼラブルみてきました

なんで投稿してなかったんやろ 去年10月に投稿するべきだったレミゼの記事がいきなり出てきました。

供養ながら投稿させてください。

日本のレミゼは30周年

今年は30周年記念ということで、グッズの端々に30thの文字が
それでも特別な盛り上がりは無く、流石30年の積み重ねと言いますか、落ち着いた雰囲気でした

30回もやってりゃ…というのもありますが、
そもそもレ・ミゼラブルは、 世界中で行われているレ・ミゼラブルを一手に監修する共通スタッフがいて、オーディションやら演出を仕切ってクオリティを確保してる んですよね
だから日本公演だからといって公演母体がわっせわっせと盛り上げるという感じでもないなーという妄想

でも、世界共通公演の中の日本公演なので、名作を毎年新鮮なキャストで、でも安定したクオリティで届けよう、という精神はすごく感じました
斬新な脚本や演出、宣伝が観られる訳でもなくて、毎年こうなんだろなー感が

日本30周年記念イベントは、特別な上演週があるのでそこで行われるのでしょう

客層も高くも低くもなく、レ・ミゼラブル自体を長く愛してる方もおられるんだろうなーと、初見ながら感じました。
ニュース見てたら通い続けて30年目!なんておじさまも

何で私はいきなりレミゼ行ってんだ?

そもそものきっかけが、QJQuick Japan:雑誌)の生田絵梨花特集だったんすよ

別にカミングアウトでもなんでもないのですが、乃木坂46の活動を最近フォローしています。
まだ何かを語ろう!とかブログやらTwitterで発言しようとか全く無いんですけどね

そもそもアイドルの雑誌の特集って + メンバーに活動について訪ねつつグラビアのっける + メンバー×メンバーの対談 + 評論

くらいしかなくて、個人の活動で特集組めるほどの深い活動していないんですよ

アイドルはもちろん賞味期限付きの仕事 で、
そこからバラエティタレントになるのか声優になるのか、女優になるのか歌手になるのか、それともただの一般人か、
海の物とも山の物ともついていない のがアイドルっていう職業だと思うんです

生田絵梨花という人は、その活動の5年間でずっとミュージカル女優を夢見て、複数のミュージカルに出演して、
周辺のスタッフへの取材できちっと内容のある記事が出来ちゃう、
一緒に仕事をする人に何かを感じさせずにはいられない注目感が最近見え隠れしています。

最初からミュージカル出演目指せよ!っていうツッコミもあるかと思いますが、
彼女自身はインタビューで”オーディションに沢山落選してきた中で通ったのが乃木坂のオーディションで、
他に落ちるよりも・・・とアイドルを選んだというのが語られていますので、参考までに。

(オーディション当時を振り返って)最初は、ココで自分はやっていけるのかなって不安がずっとありました。 でも、まだ何もわかっていないのに辞めちゃうのはもったいないし、 辞めたとしてもまたオーディションに落ち続ける日々かもしれないし。 ミュージカルとは違うけど、ステージで歌ったり踊ったりというのは アイドルも一緒だなと思って、頑張ってみようと思うようになりました。

Quick Japan Vol.30 生田絵梨花インタビュー『私の夢のこれから』

ただの存在感が、実力の確信に変わりだしたのは、
やっぱり最近のミュージカルや音楽系番組の単独出演、そこでのパフォーマンスがすごい
ということにつきます。

観た感想

何十年に渡って作られてる作品なんで、今更語るまでもありませんが、
ボロ泣き しました。

あんまり古典ではストーリー知られていない気がするんですが、

「一人の罪人が聖人と呼ばれるまでの物語」

というコピーを観たことがあります。
罪っていったって、初めはパン一つ盗んだだけなんですけどね…
人生に絶望して脱獄を繰り返した罪人ジャン・ヴァルジャンに、 仮釈放で浴びせられた更なる絶望と、そこに与えられた希望の一滴が 物語を回していきます。

この「絶望と希望」にどれだけ ”ピンとくるか”
作品との距離感が変わってくると思います。

起承転結があるわけでは、あんまりないんです。
ジャン・ヴァルジャンという男が何をするか、観客は見届人となります。

キリスト教の価値観やら「愛」について理解できたらはかどるんじゃないかなーと
観ている間中、このローマ教皇のスピーチが頭から離れませんでした。

日本語訳を載せられている方がいたので、引用。

多くの矛盾に満ちていても、人生は贈り物であり、愛が 人生の源であり意義であると気づけば、他の同胞の役に立ちたいという衝動をどうして抑えられるでしょう?
(中略)
実際、マザー・テレサは言っています。
「自分を犠牲にすることなく、誰かを愛することはできません」と。
やるべきことは山ほどあり、私たちは協力しなければなりません。しかしながら、毎日様々な悪に接しながら、どうやってそうできるのでしょう?

人を愛するってこういうことなんだ、
情愛でも友愛でもない、神愛のなんたるかを、レミゼはコレでもかとばかりに雄弁に語ります。

双眼鏡持ってって大正解

前回のロミオとジュリエットを見て、観劇に興味がわいて、
観劇グッズならまずはこれ…となる双眼鏡を、今年の頭にずっと探していました。
目があんまり良くないのに表情や動き、振りを観るなんて論外だったので

何とかならないかと、家電屋を回ったり、周囲に話をしているうちに出会ったのが、
顔も見たことのないお祖父ちゃんの遺品、40歳は超えているであろうニコンの双眼鏡。

倍率はほど良かったのですが、なんせ重い。
VixenやKOWAみたいな最新メーカーの同じ倍率の双眼鏡の倍は重い。

まず樹脂じゃなくて金属とネジで作られているのですが、その質実剛健さが、
40年の時を超えてこの時代の僕に巡り合わせて、双眼鏡が再び輝く場を作りました。

3時間ホールドするなんて無理だったけど、
それでも本当に持って行ってよかった。
双眼鏡の勉強の中で、家電屋のお兄さんにチューニングを教わったのも幸いして、本当によく見える。

双眼鏡を正しく使うコツ

双眼鏡の敵は手ブレです。 手ブレが視界のブレに繋がって、酔ってしまうのを避けなければいけません。
自分の目にあった調整をしないと酔いはキツくなります。倍率が良いモノを使えばなおさらです。

  • 目の幅をしっかり合わせること、
  • 顎をひいて観ること、
  • 左目→右目の順に、左右のピントを別々に調整すること。右→左ではダメ。

キチンとピントが合うと、演者さんが背景からくっきり切り取られたみたいに、ハッキリ見えます。
ペーパーマリオRPGみたいに、主人公が切り絵で浮き立ったみたいな見え方です。

そりゃもう活き活きと動いて、汗も汚れも、目に浮かんだ涙さえもハッキリ見えます。
帝国劇場の1F席の最後尾というポジションも相まって、その威力は抜群に感じられました
顎をひいた正しい持ち方をすれば、涙流しながらでも問題なく観れます。

コゼットと生田絵梨花

コゼットを生田絵梨花さんがする、というのはまあヒロインだしソプラノだし妥当だと思ったのですが、
後から振り返るにつれて、コゼットという役の恐ろしさがだんだん染みてきました

コゼットは、人間がやるには残酷すぎるくらい綺麗な役で、しかも本当にストーリーにおける役割が薄いんですよ。
お互いに一目ぼれした同士が深くて強い愛に結ばれて結婚、ハイおしまいってアナタ…
ぐうの音も出ないほどのリア充でした

感情をのせるようなシーンが少ない、物語を回すようなアクションが少ない、 ただただ美しくて、周りの希望を受けて一心に前を向いて、ただただキラキラしていました。

罪と欲望と絶望の舞台において、もうこれでもかっていうくらいに輝いてて、
痛々しいくらいなんですよ。
コゼットは絶望から這い上がり、未来に賭ける人々がすべてを託す
希望に満ちた明日そのものなんです。

でもそんな役できる人ってほとんどいなくて、
清純と美貌の塊みたいな役に役者がいつもついていけるわけではないんですよ

でも生田絵梨花はそれをやり遂げていました。
レ・ミゼラブルのキャストすべての絶望も欲望も希望も、そして何よりの が、コゼットとマリウスに終着します。

その中において、生田絵梨花のコゼットは本当に美しく、
誰よりも慈愛に満ちてハツラツとした美しさを放っていました。

これからのレ・ミゼラブルとどう関わろう

舞台を見たのが7月、 映画を見たのが8月、 気づけばもう10月!社会人の時間感覚にはまだ慣れません。。。