文章を書く能力が落ちたと感じることがある
自分の文章が昔と違う?
自分はかれこれブログを15年近く書いています。
間に何年も書いていなかったりする時間は結構ありますが、CURURUブログ→FC2→Wordpress→はてなブログと結構な古参です。
CURURUとかもう誰もしらないんだろうな。
社会人になってから、まあ情報収集の滞りや、Twitter依存、他のブロガーさんの影響などで、
ブログを書く頻度を自発的に上げています。
そのおかげか、「あ、これ記事になるな」「記事にしたいな」と素直に思って、タスク化する事ができる様になりました。
そう思って、いくつかブログ記事を書いてみたところ、おかしな点に気づきました。
書けない。書けたとしても、意味がつながっていない。
自分が書いた文章が一気に読めない。
途中で書きたいことや意味構成が変わる。(昔はそんな事がなかった。書き終わるまで、自分の言いたいことが一貫していた)ので、記事が破綻しかける事があった。
本の読み方も昔と違う
同じような現象が読書でも起こりました。
漫画など、集中力を画が助けてくれる本は良いのですが、もう500文字ぐらいで一回息切れしたり、
数センテンスで文章の前後構成がわからなくなったりします。
いまセンター国語とか解いたら壊滅的な点数になりそうです。
集中力の欠如?
この記事に最近出会いました。
ちょっとコレに近いというか、自分の脳の活動が落ちているなあ、と思うことがあります。
- うつ病の罹患
- つまんねえ仕事ばっかりやらざるを得ない時期に脳が死んだ
- 他人との会話が減ったこと
- 情報収集がTwitter一本になって、本を読まない時期が続いたこと
- Youtube動画の飛ばし再生ばかりをやるようになり、30分以上動画を見るのがきつくなったこと
- アイドルの動画も見すぎて、アレも脳が死にそう
などなど、集中力の大幅な低下や、情報処理能力の低下が、インプット、アウトプットに影響してるな、と思うことが増えてきました。
会話では分からない
僕の場合は、会話ではそういうことはありませんでした。
他人に状況を説明したり、複雑な事項を教えたり、脱線しかねない認識綱渡り的な会話をするときでも、以外にスラスラ話せることがあります。
多分そういう行為は習慣化していて、まだ影響を受けていないというのも有るし、
音と声でのコミュニケーションは、文章と読解のコミュニケーションよりレベルが低いのでしょう。
ただ、そういうコミュニケーションの情報処理の下には文字でのあれこれの下積みが必要だと思っていあす。
高度な会話にはそれなりのトレーニングと、会話の種となる知識量が必要ですし、そういう土台を失ったらいずれ会話ごと倒れてしまいかねないと思うからです。
やって見ようと思うトレーニング
先程の記事 にもありましたが、
- 脳は基本的には音声での認識をしている
- 文字の処理は高付加
というのがポイントになっていると思うので、もっと文字と脳みその間に音での媒介をしようと思います。
そう考えて「昔やってたけど今やってねえな」と思ったのは「脳内音読」です。
小説を呼んだり、ブログを書いたり、受験問題の問題文を読むとき、私は必ず脳内で声に出して文書を呼んでいました。
どんな小説でも随筆でも解説文でも、しゃべるスピードか、それ以上で音読していたと思います。
すべての文章を脳内音読し、わからなければリアル音読することで症状が期待しねえかなと思います。
本当に衰えた、環境の変化に弱くなった。
昔なら、ハリーポッターの一冊ぐらいなら一切集中を切らさずに読めたんですがねえ…もう今は昔です。
他にも考えられる原因って沢山有ります。
- いろんな知識や文体を得すぎて自分のスタイルを失い、とっちらかっているだけ説
- 見出しをつけて書くようになり、構成に慣れず、昔みたいな一気書きとは違ってなれていない説
- Markdownでのリンクや太字を使うようになったので、章立てやハイライトを付けながらの書き方に慣れていない説
- 図付きやスクショを使いながらのマルチメディアなブログ発信に慣れていない説
等、自分の中では諸説あります。
「そんなことないよ、読みやすいよ」と言ってくださる方がもしおられれば幸いですが、
自分の中ではそうは行っても衰えを感じる以上、なにか対策をウチたいと思う次第です。
小説呼んでみるか。。。ドラゴンライダーシリーズの最終章(インヘリタンス)とか良いかもな。
昔呼んでたのならそれこそハリポタに司馬遼太郎、まだ坂の上の雲も読み切ってないし…
そういうのに前向きに慣れてるうちに行動に変換していきたいですね。