何かを取り戻すまでの日記

生涯のうちにやりたいこと

映画『ジョーカー』感想。止まらない分断と格差の作品

社会はなぜ弱者を救わなければいけないのか。自分で生きられない人を救わなければいけないのか。

「弱肉強食でいいじゃん」「自己責任だ」という意見は簡単に聞くことが出来ます。

果たして、この映画を見た後でもそう思うことができるでしょうか。

あらすじ

ジョーカーは非常にシンプルなストーリーと、綺麗に畳まれたオチの中に、決して暴かれない、だれも言葉にできない不思議な気持ちが残ります。ジョーカーはその“面白さ”の正体を「聞いてもわからないだろう」と切り捨ててこの物語は終わります。

社会はなぜ弱者を救わなければいけないのか。この映画を見た上での私の答えは「ジョーカーのような人間を生み出さない為だ」という感じです。

現代の言葉で言えば、「無敵の人」「キモくてカネのないオッサン」とでも言えそうなジョーカー。

暴力の荒れ狂うダウンタウンの中で、一部の富んだ人間だけがテレビの向こうで理想を叫ぶ世界。

コメディアンになるという夢も、母親の愛情も、全てが虚構であり幻想であり、現実は自分を傷付けるものでしかない、この世に絶望しかないのだと知ったジョーカーは、一周回って爆笑して、自分の人生そのものが笑うしかない喜劇だと思い知ります。

間違いなく、ものすごくよく出来た映画です。

バッドマンとの因縁の描き方、惚れ惚れするほどあざやかな劇場型犯罪

証券マンの殺害が波及する様と、その発信元の張本人であるアーサー・フレック自身の対応。

オープニングからの小児病棟からのスタンドアップコメディーからのTV出演までのあざやかな流れ。

アーサー・フレック自身に次々降りかかる、本人にはどうしようもない不幸の連続と大富豪ウェイン。ウェインとアーサーの明確な関連性。

デモに紛れてハイソサエティのパーティに忍び込むのはちょっと出来過ぎと思いましたが、映画の構成や風呂敷の回収がことごとくあざやかで、よく練られた映画でした。

この映画から何を受け取ればいいのか

ジョーカーの映画を酷評するのは非常に難しいです。なぜなら、この映画を頭ごなしに酷評することは、ウェインの側に立つ、つまり社会的な地位やポジションを気づいている、金持ちの側からのポジショントークの誹りを免れないからです。

失うものが何もない人間の自爆テロを、まるでテロの矛先が自分に向けられているかのように怯えて防衛して非難するのは、私の中では違う、と明確に感じました。

ジョーカーに思いっきり感情輸入して礼讚するのも違和感があります。まるで自分が貧乏人で、この世の何もかもをぶっ壊して、復讐も何もせずただ破壊と混沌を楽しむ様をみて「胸がすいた」とはとても言えません。

ジョーカーを多くの人が考えさせるのは、そういう部分だと思います。明確な答えを出しにくい映画なのです。

『ジョーカー』という映画に救いはありません。

主人公アーサー・フレックが置かれた状況は映画の始まったところからすでに救いようがなく、登場人物も誰一人として幸せになりようがありません。

そのような状況になってしまったのは全く運命の悪戯ですが、スタート地点はただの貧困なのです。

私たちは自分がジョーカーのように自分で自分を救えない人間になっているか確かめる必要があります。

自分はそうではない、と思っているそこのあなたは、そういう人を救う手立てがこの国にあるのかを知らなければいけません。

絶望的な絶望に陥っている人に対して、人間一人ではほとんど無力なことが多いです。

たいてい、福祉の力を借りるしかありません。

ジョーカーを生まない様には、そうするしかありません。

そもそも、ジョーカーを礼讚する人でさえ、この映画がオチとして描いている状況をヨシとはしないはずです。

この映画はパッと見では分断を呼びかねない基本的な映画ですが、この映画の結末は万人にとって望ましくないというぐらいには、私は人間の理性を信じたいと思います。

ただ一つ、ジョーカーに足りないものがあるとしたら、それはギャング的な反社会組織、非公式な暴力装置が存在していないことです。

福祉のセーフティネットで弱者を救うこと、自分で自分を救えない人を市民の税金で救う必要性について、

ただひとつ抜けているものがあるとしたら

「それをしなければ、失うものも行く先も無い人々に手を差し伸べるのは反社会勢力だからだ」という意見を見たことがあります。

この映画でなるほどな、と改めて思いました。

この映画にはチンピラやパリピ的なサラリーマン以上の悪人は存在していません。そうでいて社会の分断が進み、貧困化が深刻化し、治安が悪化した時に出てくるのは、まず最初に集団の暴力装置であると思います。マフィアとかギャングと呼ばれる人です。

集団的な暴力集団が縄張り争いをする世界では、蔓延るチンピラもたかが知れているでしょう。

悪い治安、弱い福祉の中でも秩序が保たれるとしたら、そういう反社会組織無しにはありません。

そういう秩序ある悪のない世界を描いたのがジョーカーなのでしょうか。

だからといって、ジョーカーは反社会的組織を礼讚している映画では全くありません。

やっぱりこの映画ロクな結論にならないな。

まだ見たことのない方は、ぜひ。