『サヨナラの意味』は『制服のマネキン』のアンサーソングという話
まあとにかく見てくれ
そして
です。
二つの歌詞の共通点
- 高架線
- 「きみ」と「わたし」
- Yes/Noの答え
- 君の動く唇
- 聞こえない答え
秋元康さんが、サヨナラの意味を書く際に制服のマネキンを参考にしたことは間違いないと思うんですよ
微妙に違う立場
制服のマネキンは きみの唇がうごいて何かいったけど、OKなの、NGなの、わからないよと歌っているのに対し、
サヨナラの意味では 君が何かを言ったのは分からないけど、伝わったよ、わたしもそう思うよ と、少し進んでいるんですね
制服のマネキンででなかった答えが サヨナラの意味で出ています。
これはいったいどういう意味なんだろう
制服のマネキンで行われたのは、「告白」なんでしょうか。
制服のマネキンは全体としては「恋をするのはいけないことか?」 「僕に任せろ」「一歩目を踏み出す」「今しかできないことがある」「感情をなくしたら制服を着たマネキンだ」という言葉からして、
「アイドルという像を背負って、分からないことだらけだけど、、とにかく前を進んでいく」という決意の歌だと思うんです。
制服のマネキンの告白がサヨナラの意味で実ったというシンプルな話ではなく、
制服のマネキンの問いのひとつはほぐれたけど、
まだそれは彼女らの活動の始まりの一部でしかなくて、
まだ物語の途中なんだと私は解釈しました。
一番大切なものは言葉にできない
「君」は何を言ったんでしょうね。
乃木坂46は______である、
アイドルとは______な存在だ、
アイドルとは、乃木坂46とは、という問題に、
秋元康が描く乃木坂46なりの向き合い方がこの2つの曲だと思うのです
今でこそ「美しいアイドルグループ」的な立ち位置ですが、
もちろんそうでなかった期間のほうが長いし、
何が乃木坂を乃木坂にしているのかは、難しいところだと思うのです
適切な言葉がわからないまま、
状況が進展して、向き合い方が変わっていくのは、
そのまま人の歩み方そのものなのではないでしょうか。
自分の人生がどういうものだったかが死ぬまでわからないように、
乃木坂46は______である、 の中身は、
解散するまで分からないと思います
もうひとつのアンサーソング
『シンクロニシティ』は『きっかけ』のアンサーソングですよね。
たぶんこっちはもっと広まってると思うし、
その割にはみんなあんまり話題してないなあとも思うんですが。
SNSで私が見えてなくて、
流れちゃってるだけなんですかね。
『きっかけ』は「横断歩道で流された自分を意識して、 そうではなく自分の一歩を踏み出すんだ!」という決意の歌、
『シンクロニシティ』は、「横断歩道で一歩を踏み出したら、 どこかで私と同じことを考えてるひととシンクロした、うれしい」
という歌です。
乃木坂46の歴史そのものじゃないですか。
自分を変えたいと一歩を踏み出した彼女らに与えられたのは、
同じく一歩を踏み出した仲間だった。
憎たらしいいです、秋元康。